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必然、繰り返し。

  • 執筆者の写真: Akihiko Morita
    Akihiko Morita
  • 2018年3月21日
  • 読了時間: 3分

1976年と言えばおれ11歳。当時日本中を席巻した角川映画第一弾「犬神家の一族」はテレビ放映で何度か見た記憶。

昨日劇場にて観賞。子どもの頃の記憶がいかに曖昧だったかということ、やはり映画は劇場・スクリーンでということ、

そして市川崑監督って、かなりエキセントリックに脚色し演出してたんだなと(結構強引にえげつない展開、つじつま合わせがね)。

でもそれが、日本の映画の歴史を変えた「ザ・角川映画」の思惑とピッタリ符合していたのかと、今更にして思った次第。

当時洋画でも「オリエント急行殺人事件」とか「ナイル殺人事件」とか、推理ものでスター総出演みたいな映画がヒットしていた記憶があるので、

まさに時代を捉えていたということか。

で、私が「映画」というものに心を鷲掴みにされたのが、この角川映画の第二弾になる、森村誠一原作、松田優作主演「人間の証明」でした。

中学一年生。野球部。浪商の元四番バッターが監督で、日々泣きそうになる練習に明け暮れてたある日、日曜日でしたが雨で練習試合が中止になり

いきなりのオフ!!!招待券か割引券があったと思う。電話で小学校時代の親友だった古川くんを誘い、「人間の証明」を梅田の映画館で観ました。

実はそれまで「映画を観る」というのは習慣になく、小学生時代も「ゴジラ」でさえ禁止されて育ってきたので、個人的に初めて観に行ったに等しい体験でした。

角川の戦略で連日テレビCMが流れ、大ヒット映画だったので満員、立ち見です。ですんなりあんまり感動したので(当時は今と違って入替えとかなかったので)

「もう一回みよ!」と古川くんと座席を確保し続けて観賞。帰宅してもまだ夕方遅い時間帯、一番風呂に入りながら観たシーンを頭から反芻して脳内で3回目の観賞。

懐かしい〜思い出。

そのあと、「ロッキー」とか「スターウオーズ」とか「ディア・ハンター」とか洋画に洗脳されてしまい、今頃になって慌てるように邦画・日本映画を漁ってる始末。

それはさておき、映画監督になると決めたのは、「人間の証明」を自宅のお風呂場で思い出していた、あの夕暮れ時だったんだなと、今になってやっと。

先に宣言したように、しばらくその夢は封印しますし、それが生きる直近の目的ではないことを明言しておきますが、でもでもそれが今に至った原点でした。

ところで、人生において偶然も奇跡もないことをしみじみ感じる今日この頃。

偶然と思ったことも、奇跡なんて感じたことも、それはその時々にそう感じても間違いではないと思うけど、でもせめて振り返って考えると、

なにもかもがきっと「必然」で、その繰り返しが「人生」じゃないのかなと。

自分にとって経てきた数々の経験は、良いことも悪いこともすべて、そうあるべきことだった、おれにとってそう巡りあう宿命だったみたいな。

だから達成できなかったことも、できなかったからこその今があるわけで、成功したこともしかり、失敗したことも。

だから焦ったり、期待したり、ましてや妬んだり、悲観的になったりしても無駄。静かに前を向き、泰然と行くべし。

な〜んて、こうして書くことで、そう生きたいなと切に願うのでありました。

↓ 戴きもののお酒をおいしく飲みたくて、錫の器(内側金箔)で。

せめて良き必然に向き合えるように祈り、ひとり乾杯!


 
 
 

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