英語喋れる?
- Akihiko Morita
- 2017年12月4日
- 読了時間: 2分
はい、森田空海引き続き映画監督への夢諦めず生活は続くので日々もみもみしておりま〜す。

ところで9月より働いている「ほぐし職人」というお店は、当然新宿にあるの
で海外からの旅行客もよく来店します。
先日もハワイの旅行会社で働いているというアロハな女子5名様が。
そして今夜はシンガポールの裕福そうな10〜20代の男女6名様がご来
店。いずれも日本語喋れません。
こんな時おれ、めっちゃ頼りにされてます。
「森田さ〜ん!お願いします〜」て。
つまり同僚たちが軒並み英語喋れないと言うので、というかおれからしたら
そんなん何とかなるのにみんな、遠慮したりダメだと思い込んだりしてるか
ら。 気がつけばおれツアーコンダクターみたいに「おもてなし」して、
でもおれが5人も6人も同時には揉めないので、そこは気持ちよく送り出す役目を担って。
で、ふと思う。
おれが英語喋れるのは、中学の時に映画(おもにアメリカもの)にはまり、成績は悪いのに英語が好きになり、
親に借金させて兄姉に応援してもらって高校時代に一年間、アメリカへ留学させてもらったことが大きい。
1980(昭和55)年の夏でした。その時高校2年生でしたが当時こんなことを考えていたことを思い出します。
それは、「今はまだ日本の英語教育もダメで留学なんて言うと特別な感じがするけれど、
僕が大人になるころにはきっと、誰でも英語なんて喋ってる」と。
だからそんな未来が訪れて、フツーに英語でコミュニケーションとってるはずの今、否。

「森田さ〜ん」て、おれを矢面に立たせた同僚たちは20〜40代、
みんな英語を喋ることを「特別」だと決めつけている。
この感覚、これはきっと日本の「英語教育」がどうこうなのではなく、
教育そのもののシステム、「学校」というもののあり方や、
教育と生活への関わり方が、そもそも日本的なものでないものに対しての
拒絶感なのか?
いやいやここで教育なんかを論じるのはやめときますが、
37年前に思い描いた「誰でも英語喋ってる」未来はここに無く、
37年前の空気感まんまだなんて。
「そりゃハゲ、あんた喋れるからええやん」
と言ってしまえばそれで終わりな気がするけど。

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