おれの過去はおれだけのものじゃない、かも。
- Akihiko Morita
- 2017年1月7日
- 読了時間: 2分

かも。って付けていますが、きっとそうゆうことなんだろうなと感じている昨今。
1965年01月10日に産まれ、今日にいたる、おれの過去。
そこだけを考えると、おれおれおれがあってなんぼだし、ふつーそうだと思うのですが。
もっと宇宙的にというか、単純に広く考えてみて、おれが産まれ育って今がある時間軸、
タイムラインって、もちろんそれがおれとみなさまを繋げる証だったりするし、
それ以外に何もないと考えるのが当然として。
でもじゃ、なんで前世や過去生が語られる?(いやいや語ってへんし、知らんし、という方は一旦退場願います)。
人にはおよそ、1000〜2000の過去生があると言われているそうです。
その信憑性とか、やめてうさん臭い!とかは置いといて、
ぼくはよっしゃわかったおまえが言うならと、素直というか?好奇心だけでそんなことを言う奴らと付き合ってきて。
おもろい、めっちゃおもろい。
今があるのは、過去があるから。過去で苦しんでいたことを、今なお同じように苦しんでいたりすること。
さらに、そのように過去のまま生きようとすることで、変えようとしない自分に気がつくこと。
はい、分かってます、ついに来たね空海!狂ったのかと。
そう思わば思え。
これら一連の真理追究体感し乗り越えて、もっとおもろい自分を見つけます。
ついて来てもらえなくとも上等。でも、できるだけ多く、巻き込められるのならばと。
(写真は空海さんの姪を母に持つ、圓珍(えんちん)さん。空海とは違って天台宗の設立に尽力した七宗のひとりで、おれの過去生のひとりらしい)
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