こちら海です。
- Akihiko Morita
- 2016年10月16日
- 読了時間: 2分

20歳でテレビ番組の制作会社にアルバイトで入り、半年間は技術(撮影部隊)のアシスタントをして。
志願して、制作(演出部隊)に移り、ADとして最初についた番組がこれ。月に2度、京都と和歌山の漁師さんを追うものでした。
UHF局の、視聴率もあってなくても良いような30分番組。一回のロケで2泊3日だったか?
現場でおれがやることは、ひたすら機材やテープを管理したり、たまに通行人で出たり、移動中は(運転免許を
持っていなかったので)ひたすら地図を見て、運転するスタッフが寝ないように喋ったり。
そしてもうひとつ重要なミッションが。
特に和歌山では、温暖な気候で漁師さんたちはおおらかで、どこへ行っても撮影後は漁協長の豪邸に招かれることしばしば。
お邪魔すると、テーブル一面には、見たことも無いような魚、魚、魚、刺身から煮付けから揚げ物から、魚、魚、魚。
しかしなぜか、ディレクターもカメラマンも他スタッフも、すべて魚が苦手。
スタッフの中には、毎回ふりかけ持参で米ばかり喰らう不届きものもいたくらい。
「(小声で)空海、おまえ、全部食え」
ディレクターの命令です。
僕だって子どものころ、おかんの作ったカレーが最高のディナーだったし、魚だったりしたらテンション下がってたし。
でも命令には逆らえません、食いますよ。
すると、漁協長に笑われて。
「兄やん(=兄ちゃん)えらい魚食うのへたくそやな?」
この時のおれの仕事は、撮影でお世話になった漁協長が出してくれた穫れたての海の幸を、
おおきにありがとうございま〜すで喰らうこと(演出助手なんて要素皆無)。
すなわち、「おおきに」を形で示すのは、奇麗に食べ尽くすことと、教えられた次第。
回数を重ねるごとに、みるみる魚の食べ方がうまくなり。
65キロだった体重は、76キロに。
写真のサンマ、頭もう少し焼いてくれていればこれも食える。
わた(=内臓)は小骨と合わせて大根おろしと、ちょい醤油でポリポリ食う。
残った背骨も、炙るか揚げるかしたら食えるから、ほんとは皿に何も残らない。
そんな経験がおれ原点。感謝です。
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