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15のぼくと51のおれ。

  • 執筆者の写真: Akihiko Morita
    Akihiko Morita
  • 2016年9月10日
  • 読了時間: 2分

人生二度目の新幹線、人生初の航空機(PANNAM)でアメリカに降り立ったのは、1980年の8月10日だったか。

ロサンジェルスで日本から来た数十名の留学生仲間と一週間のガイダンス。

USCの近くに宿泊して、ラストはディズニーランドへ行ったり。

その前後にハリウッドのチャイニーズシアター前で、憧れのチャップリンの手形に手を合わせてみたりした記憶ある。

その後仲間と別れ、ひとりサンフランシスコへ飛び、そこで出迎えてくれたホストファミリーの長男・TED(18歳)と友人Garyの

運転するビートルに乗って、2時間内陸に移動した小都市、ストックトン。

最初の一週間は、相手の言葉も自分の言葉も相互理解不能で、高熱を出して病院に担がれるはめにも。

それでもホストファミリーのHendrixさんたち、父Bill, 母Lyn, Ted, Jeff, Jamie, そして弟になるRickyらと、ともに悪戦苦闘して。

一年間の留学生活を、結果存分に満喫しました。

死ぬほどお世話になったのに、今やFacebookで交流する程度で、きちんとした恩返しできないまま。

先ごろ、縁あって久しぶりにLAに渡りました。

テレ朝のMステの特番で、B'zの松本孝弘さんが番組テーマ曲を演奏するのを収録演出しました。

先に宣言した通り、これが僕にとってのテレビディレクター最後の作品になります。

別に感慨深い感じはなく、プロの仕事を当たり前にしてきたつもりですが、

たった一曲だけの仕事で、二日前に入ってさらに予備日まであるので、

いつも通り心の底からはOFFになれはしませんが、ひとり電車やバス、徒歩で観光というか、

15の時に見た景色や、見られなかった場所を訪ねてみたり。

あの時のおれと今のおれ。

大きくは何も変わっていないこと、それだけは悲しいかな、認めざるをえないです。

それをネガティブに捉えることはしないで、かといってあまりに気合い入れても変わらないものは、

こうして変わらなかったんだから、無理をせず。

おれを、いまを、生きるしかない。

きっとゴールとか、限界なんてないところに向かっている。

それを生業にしてきたことに誇りを持って。

進め!


 
 
 

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