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恐れ多くも、氷室京介と森田空海 その3(了)

  • 執筆者の写真: Akihiko Morita
    Akihiko Morita
  • 2016年5月26日
  • 読了時間: 2分

アーティストにとってライブステージとは表現そのもので、そこに舞台関係者、サウンド、照明などが加わり、

メッセージとなる。それを目撃できるのは、その場にいた者のみで、本当は、ぼくたちのような映像で、

それをありのままに見せることは不可能だと思うのです。

昨年GLAYのライブを撮った時に、インタビューを受けて答えたことと重なるのですが、

だからこそぼくの仕事は、本当のありのままのステージを、ありのままに再構築しなければいけないということだと考えています。

例えばカメラ一台でどーんと撮ってありのままではなく、複数台のカメラが収めた氷室さんを、

正しく、意義あるモンタージュで組み立てること。

おれが良いのではなく、氷室さんが伝えたいものを感じ取り、感じさせること。

ファンが唸る画を、絶妙のタイミングで出すこと。

また、ファンでない人も、目を離せないようなものにすること。

そして、これらに絶対的な答えはないんです。

でも、その答えに、どこまで近づけるか?肉薄できるか?だと信じています。

あれからおよそ二年の月日が流れ、迎えたLAST GIGS。計七本のラストステージ。

また田中くんの密着が始まり、その素材を見ながら、各ステージでの表情を確認して、

東京ドーム三日間。

耳の不調、声が出なかったり、苦悶の表情、闘う氷室さん。

なぜそこまでして自分を追いつめるのか?単純な問いが心に浮かびます。

そしてその回答は、ラストのステージで明らかになった気がします。

今まで好不調の浮き沈みがあったのに、最後の最後で始めから絶好調。

苦しい表情は消え、ギラギラと輝く氷室さんだったのです。

一番辿り着きたかった場所、歌いきってマイクを置く、何の説明も言い訳じみた物言いもなく、

ステージを観たものにしか分からない、言葉にならない言葉。

参加した人、それぞれの心に刺さる瞬間の記憶。

それを残してくれたんだと。

そして付け加えるなら、「あとはおまえたち、それぞれが、生きろ」と言ってくれているような気がして。

中継車の中で、普段ならインカムを付けっぱなしだった頭が痛んだり、どっと疲れがくるのに、

3時間半におよぶステージが一時間くらいに思えて、疲れなく、とにかく氷室さんのオーラに包まれたような気分。

ぼくにもいつか、卒業の日が来ます。その日まで、これを超える体験はできるのだろうか?なんて思ったり。

編集が待ち遠しく思えます。はい、きちんと闘い、より以上の高みを目指します。

お読み頂き、ありがとうございました!


 
 
 

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