恐れ多くも、氷室京介と森田空海 その1
- Akihiko Morita
- 2016年5月24日
- 読了時間: 3分
なぜ51歳ハゲおれが「氷室京介」を演っているのか?
廻りもおれも不思議に思うことがあり、地獄の編集が始まる前に少し整理してみようと思う。
2014年はじめ、所属していたプロダクションとの契約を切った(その経緯に関してはいつかまた)ばかりのぼくに、
氷室さんと親しいプロダクションから、ぼくの元プロダクションに相談があったらしく、そこで候補になり。
「なんでおれ?」「まさかおれが?なんで?」というのが正直な気持ち。
WOWOWのライブ番組を多く作っていた実績はあるにせよ、そんなビッグネームは舞い込むどころか、
お付きの監督やイケイケな若手クリエイターはぞろぞろいるだろうし。
今思えば、ライブに関連して作ることになる、計3本の特集番組などの展開があって、番組ディレクターとしての腕を買われたのかな?
で、先ずはツアー前半、4月の東京国際フォーラム・ライブ収録を受けたのです。
ところが全席発券済みで、ステージ前にレールカメラも設置できず、クレーンなどの特機もなく、台数も10台プラス固定数台くらい。
「あの氷室京介をたったこれだけで?」
ここでおもろいアイデアを出してくれたのが、TD(テクニカルディレクター)のハリーさん。
「ステージが高くないので、カメラマンを舞台かぶりつきにして、映画で使うレンズで撮る。ただし、かなり接近するので、
氷室さんは嫌がるだろうな」
結果、まあそうするしかなかったとはいえ、この作戦が大成功。
同時にぼくも割り切って、ここはホールではなくライブハウスだと。中継ではなく、がむしゃらに撮るんだと。
収録後の爽快感は今でも覚えています。「やれたぞ」と思える現場がなかなか無かったので。
この時点で、その後の横浜スタジアムをおれが撮るかどうかは未定でした。
そうなんです。要は、国際フォーラムのライブをきちんと編集して見せることが、約束はないにせよ、
ひょっとしておれ?になる、ま、試験みたいなものだったのです。
編集したものを、マネージャーがすぐさま氷室さんに送り、本人が即座に電話をしてきて、
「最高!ディレクターによろしく言ってくれ!」と、お言葉戴いた次第。
今もって、直接会って話したことは無いのですが、何か氷室さんの中のツボみたいなところに、ヒットしたんだと思います。
ぼくが、今よりもバリバリとライブを撮っていたのは20代の後半です。スペシャ&セップに居たころ。
ドラマやプロモなどで過ごしたおよそ15〜20年のブランクがあったし、果たしてアーティスト好みのものに作り上げられるのかどうか?
いや、そこは昔から変わらないんですが、意義ある、残る作品にできるかどうか?だけを考えていたのですが、
おれがこれだと思うものが、当の本人に、真っすぐに突き刺さった感覚。気持ち良かったです。
そのライブの模様と、ご本人のインタビューを交えた番組を、その後キーマンになる同僚、田中刑事ディレクターと共に作り上げるころには、
おれにとって、初めての横浜スタジアムライブ収録演出が決定したわけですが、つづきはまた。

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