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かっこいい考。

  • 執筆者の写真: Akihiko Morita
    Akihiko Morita
  • 2016年5月12日
  • 読了時間: 2分

「かっこいい」という言葉、ある人にとっては生き様みたいな想いさえある動機みたいなもの。

例えば、「子どもの頃○○を見て、かっこいい!と思ったんですよね、だからギターを始めて・・・」などと語る

有名ミュージシャンとか多いし、「かっこいい」に憧れ、それを自分のものにしたくて突き進む生き方、ありますよね?

しかし、僕個人のことを語ると、その「かっこいい」という言葉、当たり前のようにそれが

共通の価値観として交わされる現場に出会ったのは、26歳で東京に来て、スペースシャワーTVという音楽専門チャンネルで

働くようになってからです。

びっくりした記憶。

「かっこいいじゃん!」 or 「それ、かっこ悪いよね〜」

大阪で、モノを伝えるために、作り手はどうあるべきか?とか、被写体の本質は何なのか?何を見せるべきなのか?とか、

6年間、徹底的に試行錯誤して、縁あって上京し、辿り着いたスペシャの同僚たちの価値観のトップは、

この「かっこいいか、否か?」だったのです。

衝撃でした。

以来、今でもその、彼らには一般的な「かっこいいかどうか?」というチャンネルがあるということに関して、実は懐疑的です。

正直に言うと、そのチャンネル要らんやろ?と、まだ思っています。

分かるし、その思いに沿ってやらなければいけないことも数多くあったけど、ごめんね、ほんまはおれわからん。

「かっこいい」て何? 本当に、申し訳なくなるねんけど、何それ?というのが、おれの気持ち。

かっこいいかどうかを追求し、そこを結論にすることを目標にしたかて、それは当事者や廻りの自己満足でしかないと思っているから。

何を演って、それをどう撮り、いかに残すのか?

結果、残らなくても仕方がないけれど、携わった以上、どう提示できたのかどうか?、ぼくはそれです。演出の立場として、そうあるべきだと信じています。

流されたくないんです、きっと。流された方が楽なのも、何となく分かるからこそ。

だからたぶんこれからも、抗うよ。

写真は眼鏡新調。丸いのとか、赤いのとか、冒険できないおれ。この理由はまた後日。


 
 
 

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