日本舞踊を観て
- Akihiko Morita
- 2016年4月10日
- 読了時間: 2分
友人で俳優・歌手の宮嶋ゆりかさんは、大学生の時、日舞の世界に20歳で入門し、
厳しい修業期間を経て花柳流師範代にまでなられた方。
もう、ただそれだけで尊敬できるのです。
しかもはたちから、というのが、何か自分にも重なる気がして。
映像や按摩の現場で、20代のひとたちと話す時に、つい説教じみて言ってしまうことは、
「20代の10年間、死にもの狂いでやれたかどうかで30代以降が変わる」
・・・偉そうに。はい、40代で失速したことがあるので、ま、参考までに。
その10年間で土台ができると、僕はそう信じています。
51歳のおれが、曲がりなりにも現場でアホできるのも、どう考えてみても、あの10年間があったからなんです。
20代を学生の延長で過ごすか?何かに必死に取り組めたか?
僕の場合、思い出すのもつらく、苦しく、しかしかけがえのない10年間、貴重です。
さて、人生二度目の観劇で、日舞の良さがまた少し分かったような。
演者の所作と、長唄と三味線、鼓などの楽器演奏と、舞台装飾、空間美、姿を見せない所からの大太鼓、拍子木の音、
すべてが一体となっていく美しさ、儚さ、心地よさや、喜び悲しみが、伝わる。
これってブラバン時代のパート練習〜合奏で音が合っていく感じと一緒やん、
小劇場で演出したときの、稽古を重ねて重ねて、役者とスタッフと観客が響き合ってくる感じ、
「よーい、はい!・・・カット!」で、奇跡が起きる感じ、一緒。
つうことは、日舞は歌舞伎の原点であるのみならず、今ぼくたちがやっていることの原点であるということ。
あくまで日舞素人の意見ですが、そんなことを思ってしまいました。
ゆりかさんこと、花柳輔悠奈(はなやぎ・すけゆうな)と、そのお師匠様、花柳輔蔵の豪華競演「鞍馬獅子」
郷の君を、長刀を手に、舞い唄う姿、痺れました!
彼女は母校でも日舞を教えています↓
http://www.keisen.ac.jp/extension/open-class/2015autumn/university/post-20.html

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