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心。

  • 執筆者の写真: Akihiko Morita
    Akihiko Morita
  • 2016年2月15日
  • 読了時間: 3分

武井 壮さん。

家にテレビがないので詳しく知らない人ですが、ちょこちょこ記事で認識はしていて。

その彼が、過去に半身不随の宣告を受けたにも関わらず、復活したことを知り。

その記事を読んで思ったことを書きます。

http://grapee.jp/142069

あくまで、僕が彼と同じように宣告されて、同じようになれるかどうかは置いといて。

例えば、頭痛を薬で治せると、ぼくも過去には信じていました。

でもでも、今ふつーに考えても、それは痛みを麻酔みたいなもので抑えているだけで、

結局、根本的な治療にはなっていないこと。

なぜ?頭が痛くなったのか?

その原因を取り除かないと、本当の解決にはならないこと。

頭の痛みは外傷などがなければ、ほぼ神経性のものです。

その神経は、日々の生活のなかで使われるものです。

テレビやスマホやパソコン、映画でも、景色を見るのもそうだし、という視神経系。

会社や家族や友人との関わりで出てくる、個人的な想いなんかも含めた(造語ですが)私神経系。

いずれか、あるいは両方が負荷を感じて、何らかのダメージを受けていると考えるのが、

簡単です。そして、僕も含め多くの人が、それらに影響を受けています。

というか、それらに依存しているわけです。

それでは、それらをコントロールできれば、痛みとはおさらば。

そうです。

でもそれを実行するには、おのれの心、気持ちひとつだと思います。

自分以外と同時に、自分自身とどう向き合って、接しているのか? いくのか?

そこを明らかにしないと無理でしょう。

それは、他人、医者でも友人でも家族でも恋人でも伴侶が面倒見てくれるわけではなく、

変えることができるのは、あなた(おれ)ひとりのココロなんです。

記事を読んで、武井さんはたぶん、そこを信じていたのではないだろうか?と。

じぶんを信じる心。じぶんを変えれば、それらが変わるということ。

原因を、他者や環境や、終わってしまった過去に(探ることは決して無駄ではないと思い

ますが)執着させるのではなく、結果を受けて先へ進むためにはどうするか?という、

探究心みたいなもの。

最近本業が忙しく、按摩屋できていないのですが、常々感じていることは、

「自分は変わりたい、変えたい、変えなければ」と少しでも感じている人と、

「揉んでもらえれば楽になる、もっと揉んでくれ、ええから揉め」としか感じていない人では、

結果は天と地の差ほど、施術者としては実感してきたわけで。

要は、心、その人それぞれの、心の持ちようなんだと。

決して、武井さんが特別ではないと信じています。

僕を按摩で指名してくれる70代のおばさまの話ですが、彼女はかつて糖尿病で余命宣告を受けたとき、

なぜか水とキャベツだけの生活を思いつき、半年間実践して、宣告を撤回させたそうです。

それはそれは辛かったらしいですが、信じて、突き進んで取り戻した彼女の命がある。今がある、明日がある。

長々とごめんなさい。


 
 
 

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