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映画監督を夢見て。

  • 執筆者の写真: Akihiko Morita
    Akihiko Morita
  • 2015年12月16日
  • 読了時間: 2分

ぼくは四人兄弟の末っ子。一月生まれ。小学生時代はどちらかと言うとまわりの様子を見てから動くタイプ。中学に進学して、親に絶対ダメ!と言われていたはずの野球部に。キチガイのような練習、体罰&シゴキ。二年の春に足指を怪我してマネージャー&ブルペンキャッチャー&スコアラーに転身(スコアを付けられるのが俺しかいなかった。子どものころからサンテレビの阪神戦を見ながらスコアを付けていた経験活きる)がしかし、

ある日曜日の練習試合が雨で流れ突然「休み」に。小学時代の友人、ふるくんを誘って梅田で角川映画第二弾、松田優作主演「人間の証明」を鑑賞。当時、映画を観ることなんて特別で、どうしてその決断に至ったのかは思い出せないけど、覚えていることは、映画のワンシーンワンシーンに衝撃を受け、立ち見で観たあと席を漁り、もう一度座って鑑賞したこと、そして帰宅後、風呂に入りながら頭から観た映画を反芻したこと。

その後、同じ野球部の年上の知り合いが自主映画なるものでNHK大阪のコンテストに入選し、放送されたのを見て、これなら俺も出来る!その人が通う高校に進学すればええんとちゃう?と思ったのが運のつき。

一応受験勉強をして、その大阪市立(おおさかいちりつ)高校に進学。ここは大阪市が最初に創設した高等学校ということで、「最初やからええよね?」なのか?普通添えられる市立「○○」高校の○○がない、固有名称が存在しない学校。だから数年前の移管問題の際は、大阪「市」が無くなったら、大阪府立・大阪市立高校になるのか?という問題がかなり真剣に論議されていたそうで。

しかも「イチリツ」は、創設時は当然市内にあったらしいのですが、戦中の混乱で府・枚方(ひらかた)市に移転。大阪市の高校なのに、京阪電車で30分もかけて市外に出て通わなければならない面倒くさい高校だったのです。

でもこれが良かった。

駅を降りて、遅刻なんてすれば吐きそうになる長大・急激な坂を登った丘の上に学校があって。桜の季節は最高に美しく。冬の夕暮れなんてそこはかとなく美麗で(て今思う記憶ですが)。

一年目は、休部同然の映画研究会にどうすることもなく、クラスで自主映画を作り、二年生になってから、部員おれひとりで勧誘して部を存続させた記憶。

やっと語れませすが、その時におれデザインで作ったトレーナーがこれ。

FBで当時の仲間から現存している写真を送ってもらいました。

ながながとすみません。

1981年の「作品」です。そして、未だ、本当の意味での「映画監督」の夢は叶えられておりません。


 
 
 

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